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野村克也(ノムさん)の偉大な功績&エピソード10選【平成生まれは知らない】

元プロ野球選手の野村克也氏(ノムさん)が亡くなったとの一報がありました。

僕にとって大好きな方だったので残念に思う一方、忙しい現役時代を送られたので、ゆっくりされて欲しい思いもあります。

プロ野球選手としての野村克也さんを見ていたわけではありませんが、いち野球ファンとしてどれだけすごい選手かは理解していたつもりです。

そこで今回は、平成生まれで野村克也さんを知らない層の方に、どんな偉大な選手だったかエピソードをまとめました。

野村克也の偉大な成績&エピソードまとめ

平成後期に生まれた方だと、野村監督は愛嬌の良いおじいちゃんと思われているかもしれませんw

僕は野村さんを監督時代から見始めた人間なので、僕の中では「監督」なんですけどね。

偉大な功績があることは、親父などからも聞いていて知っていたのですが、改めて見るとやはりすごいです。

データ重視の「ID野球」の生みの親

「野球は頭でやるものだ」という概念を広めたのも野村監督でした

野球はテキトーにやっても勝てないのは今では当たり前なのですが。

理にかなった計算、頭脳プレーをやることで、弱い球団でも優勝できることを野村さんは証明しています。

ノムさんは長年Bクラスに低迷していたヤクルトを優勝させたことでも知られています。

教え子たちも着実に成長し、ノムさんがいたからこそ偉大なプレイヤーになった選手も多いんですよね。

野村監督のチーム再建プランを受けたチームは優勝する

野村監督は、チーム再建のために色んな球団から声をかけてもらっていました。ヤクルトでの監督実績が良かったので、その後もオファーが止まりません。

阪神の監督として1998年に。しかし、この時は沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されるなど、辞任することになりました。

しかし、チーム再建プランはしっかりと継承され、2003年に星野監督で優勝しています。星野監督も就任2年で結果を出すなど、ノムさんが再建したチームを責任を持って育てました。

また、奇しくも同じ流れで、楽天で監督をしたノムさん。田中将大選手を育てつつ、その後はまた星野監督に受け継いでいます。

そして楽天も優勝。こう考えると、ノムさんが弱いチームに携われば優勝の土台ができることがわかります。

短い期間で結果を求められるため、結果が出ないと辞任になるのですが。ノムさんだからできたチーム再建は記憶に残っています

選手兼任監督

ノムさんは、選手兼任監督も経験されています

数多の野球選手がいますが、この兼任監督を経験している人はほとんどいません。

この経験も大きく、後に偉大な名捕手となる古田敦也選手にもノウハウを叩き込んでいます。古田選手は野村ID野球の申し子とも言われており、ノムさんにしっかり教わった一人。

2006~2007年にかけて、古田選手も野村監督の教えを生かして頑張りました。教え子が、同じキャッチャーとして兼任することは嬉しかったと思います。

戦後初の三冠王。ホームラン数は歴代2位

戦後初の三冠王というのも有名です。

特に捕手というポジションは、バッティングはそこそこでいいから守備に徹してほしいと言われがち。

それにも関わらず、捕手としての腕はもちろん、バッターとしても強打者として活躍しています。3冠王なんて、バッティングに専念しないと取れないのに素晴らしい記録

同時に、ホームラン数が歴代2位というのも偉大な記録。

王さんの記録にこそ及ばないものの、圧倒的なまでの記録として塗り替えることは難しいと言えるレベルにいます。もし打者専念だったら・・と考えると末恐ろしかったですね(汗)

王・長嶋に対するライバル心がバリバリのかっこよさ

野村さんほどの名選手なら、現役時代に注目されまくったはずかと思いきや。

当時は、同世代に王さん長嶋さんがいました。いわゆるONの時代で、巨人ばかりが注目されていたのです。

そのため、王・長嶋に対する嫉妬心やライバル心はバリバリ。マスコミの前でも、「俺が打っても打っても王・長嶋」とぼやいていたくらい。

監督になってもやはり巨人軍を率いる長嶋さんが注目され、珍プレー好プレーという番組でも、ぼやくノムさんがたびたび使われていました。

しかし、このライバル心がバリバリなところがカッコよかったんですよね。王さんだから、長嶋さんだから忖度するではないですが。そういう風潮もあります。

国民的に人気な立場の人たちを相手にしても、野村さん個人としての思いをマスコミで見せていたことは視聴者として色々と楽しめる部分でもありましたね

イチローにも物言うもツンデレが可愛い


国民的なヒーローであるイチローにも、物怖じせずあれこれ言えるのも野村監督です。

仕草や態度が好かん!とはっきり言っていて、なかなかイチローに言える人は少ないと思うんですね(笑)

でもこれが野村さんの良いところと言うか。王・長嶋に忖度しないのと同じで、イチローとは言え自分の意見をきっちり持っていて好きでした。

だけど野村さん。イチロー選手は誰よりも早くに評価していたんですよ

まだ200本安打を打つ前のオープン戦。イチロー選手を見て「なぜあいつを取らなかったんだ」とスカウトに言ったそうです。

もはや天才だから天才を見抜けたと言っても過言ではありません。イチローにあれこれいうけど、ツンデレっぽいところがあるんですよ。

サッチーにベタぼれ

野球から離れたところだと、沙知代夫人にべた惚れだったのは有名な話。

サッチーらしいというか、最初は沙知代夫人も野村監督のことはあまり知らなかったんですね。

でも野球選手として有名で、稼いでいたことを知って徐々に仲良くなるという。こう言うと、サッチーとは・・という感じもしたのですがw

そういった性格も踏まえて大好きになり、その後に脱税騒動などで追われた時なども、野球よりサッチーを選んだことでも有名です

愛妻家は野村さんの代名詞とも言えます。

女子アナは大好き

取材陣に厳しい態度を取ることも多い野村さんでしたが、女子アナは好きだったようです。というか、若い女の子が好きw

フジテレビの女子アナ木佐彩子さんが結婚した際、「なんで石井なんや」とここでもぼやき。

当時ヤクルトのエースで、最も実力ある球界の左腕だったからこそイジれたんですが。

女性に優しいノムさんの様子を、テレビで見ているとほっこりしていました

堅物の人っていますけど、ノムさんは違う。こういうところも人間味があって好きなんですよ。

解説が上手い(野村スコープ)

また野球解説がどの人よりも分かりやすく面白い。それでいて理解しやすいことでも有名でした。

捕手経験が活きているため、野村スコープというキャッチャーの手元のどこに投げれば良いのか。コースの選び方や球種の考え方を、解説時には見せてくれていました。

僕はこれがたまらなく好きで、パワプロがテレビ解説されている感動を覚えたほど。

野村さんの解説は理解しやすく、なぜここに投げるべきなのかが面白かったのです。

今でこそ、野球中継に出てくるコース説明なんですけどね。始まりは野村監督の、野村スコープだったことは知らない方も多いはず

名言の多い監督

野村さんは偉大な選手でしたが、苦労人としても有名です。

ドラフト1位で契約金MAXみたいな華々しい入団が、偉大な選手にはつきものですが。

野村さんの場合は、テスト生として南海ホークスに入団。しかも契約金0円なので、本当に頑張ったと言えます。

ちなみに、捕手層が薄かったから南海を選んだというのは野村さんならでは。巨人ファンだったけど、確実に1軍を狙えるポジションを見据えていたわけです。

そんな野村さんだからこそでしょうか。考えに考え抜かれた言葉には重みがあり、同時に勇気や励みにもなる

これが野村監督の素晴らしい部分で、名言集なども多くの書籍、サイトなどで紹介されています。

野村監督がいなくなってとても寂しい

好きな選手がいなくなるのは寂しいと思います。さらに、野村監督はそういった枠を超えて愛された人。

人間味があるからでしょうね。野球選手なのに、なんだかどこかにいるおじいちゃんみたいな。

サッチーとまたゆっくりおしゃべりでも楽しんで欲しいなと願うばかりです。ノムさん、本当にお疲れ様でした!

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